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2021
約1年間にわたる試作や実験、相談や対話を重ねて、ついに「のぞきあなART」が始まりました。初めての試みということもあり、まさに手探り状態。町の人に怒られないだろうか、作品が盗まれたりしないだろうか、悪さをする人が出たりしないだろうか。ドキドキ、ハラハラの連続でした。
そんな中、始まった初日。まるで待ち構えていたかのように、何人もの方が地図を片手に町を散策してくれていました。その姿を見た瞬間、感激で胸がいっぱいになりました。真剣な表情でのぞき穴を覗き込む姿からは、アートを心から楽しみに来てくださっていることが一目瞭然でした。まるで一緒に町をつくっているような感覚に包まれて、とても嬉しい気持ちになりました。
記しておきたいのは、米花邸のことです。前を通るのも少し怖いほどの廃墟でした。廃墟の不気味さは、古いカーテンがぶら下がっているかどうかで、かなり印象が変わる気がします。この米花邸には、ボロボロに破れたカーテンがかかっていました。
そんな場所にアートが置かれたことで、人々が米花邸そのものをアートとして見直した瞬間がありました。まるで見えない額縁が施されたかのように、米花邸は生き生きと、誇らしげに朽ちていたのです。そして「のぞきあなART」が終わって間もなく、米花邸は取り壊されました。
「壊される」ということ。
「とっておいてくれたらいいのに。」そんな言葉を、この頃の私は軽々しく使っていたように思います。でも、それはある意味、綺麗事でもあることを知りました。米花邸のことに限らず、世の中には古い家であればあるほど、相続の問題に苦しみ、家族が崩壊してしまうようなケースも少なくないことを知りました。 そのことを、私たちはちゃんと理解しなければならないと学びました。
朽ちていくのが美しいんです。
そう語ってくれたのは、津屋崎の旧玉乃井旅館の館長、安倍さんです。時は誰にでも、どんなものにも、どんな場所にも必ず流れていきます。朽ちていくという言葉の裏には、それを見届け、受け止める人の心が映し出されているように感じます。時が流れること、時代が変わること、文明が進化することそれらすべてを受け止め、許容する。それは、全てを信じるということなのかもしれません。
だとしたら、古い思い出がたくさん詰まった家が壊され、そこに積水ハウスが建ち、津屋崎から古民家がいつか姿を消し、どこにでもある建売住宅ばかりの町になったとしてもそれでも、それはそれで、美しいことなのかもしれません。

最後の花を咲かせたかのように、
この後取り壊されてしまいました。

いまだに鏡やパーマ機など
当時のままに置いてあります。

前原 正弘

イベントに繋がるはじめの一歩でした。

ミシン屋さんの納屋でした。
今でも立派な母屋があり、
素敵な土間が残っています。

実験的にのぞきあなARTを町で試していた時に、
近所の森園さんは大変面白がって
たくさん応援してくださいました。
その時に何気なく撮った一枚が
イベントのポスターになり、
以降毎年
町の方達にモデルになってもらっています。

イベントに繋がるはじめの一歩でした。

玉乃井のかまどの扉は、のぞきあなARTの準備中に壁の工事と共に一度壊されてしまいました。
偶然通りかかったスタッフが
工事してる方にお願いして、
壁は新しくなりましたが
かまどの扉だけまた取り付けてもらい、
窮地を逃れることができました。

第一回目は手探りでのマップと冊子作り。
冊子は家庭用プリンターで印刷し、
スタッフで手で和綴じで製本しました。

この倉庫は普段、掃除道具が入っています。
のぞきあなARTの時期だけ
中を空っぽにしてくださって、
のぞきあなARTの展示に使わせてもらっています。

会場となった古小路の向かいには
蔦の絡まる廃墟のような倉庫がありました。
中にはタヌキの親子が住んでいたようです。
もう壊されてしまいました。

ふぢのたかし
藍の家の壁と隣接された壁の間に展示されました。

金氣 穂乃
香教安寺の石垣の隙間での展示

銀多-ginta-

山本 隆明
旧吉田ミシン店 納屋の扉の隙間から見える
鉄の作品

ベノム 三浦 なおこ