遠い記憶
小学生の頃まで家にはガスも電気釜もなく、土間にどっしり座したオクドさんと七輪でご飯炊きをしていた。
台所の壁は煤(すす)で真っ黒で手押しポンプで井戸の水を汲み上げる、全てがアナログな暮らしだった。
ぷかぷかと踏板が浮いた五右衛門風呂も懐かしい。
お風呂の壁には竹筒が通るくらいの穴が、ホカリと空いていてポンプに竹筒を繋いで壁の穴に通し、113回ポンプのハンドルを押し下げ汲み上げるとお風呂の水が満杯になった。
この穴からテレビを観るのがお風呂の愉しみのひとつでもあった。
家の北側は縦に4つ割りにした竹で出来た竹垣で囲まれていた。
コンクリートの門は南側にあったが、門へ回るのが面倒なのか?裏の北道を通る人たちは竹垣の間をのぞいては、
「八年志(やとし)シャンいる〜? 節っちゃんいるぅ〜?」と声を掛けて来る。
農家の朝は早く、まだぼんやり薄暗く夜が明けきらぬ時間から人々は動き始める。
チカコの家は四方が道で、寒い冬や雨の日は少なくなるものの、いつ誰が声かけして来るか?訪ねて来るか?見られているか?判らなくて子ども心に気が休まらなかった。
ある日、外から家の中はどんな風に見えるのか?チカコは見てみたくなった。
思い立って裏道へ回り、竹と竹の間を開いて中をのぞいてみた。
おばあちゃんの足だけが歩いていた。
絣(かすり)のズボンがこちょこちょ歩いていた。
面白かった。
お姉ちゃんは寝っ転がって本を読んでいる。
足がない。
竹垣の端っこの竹の間をのぞくと母が庭の畑で何やら仕事をしている。
「お母~さん!」
と呼んで竹垣に隠れると母はキョロキョロして私を探しているようだが、どこにいるかわからなくてまた仕事をし始めた。
妹と弟の声はするが姿は見えない。
竹垣の竹と竹が動いていろんな穴ができることに気づいたチカコは、面白くて何だかワクワクしてそれからというもの、時折妹たちを誘って北の裏道に回っては竹を押し広げてのぞきごっこをした。
ある日、いつものように竹を押し広げようとしたら、バシッと音がして古い竹が折れて少し大きな穴が出来てしまった。
アッとビックリして中をのぞくと何と大きな目が目の前に現れた。
うわぁっ〜!と思ったが声も出ない。
「何しよん?」
と穏やかな声がした。おばぁちゃんだ。
竹垣の下の方で草取りをしていたらしい。
ただ面白かっただけののぞきごっこ遊びだったが、向こうから大きな目がやって来るなんて思いもしなかった。
でもそんなことでへこたれたりはしない。
竹垣の竹が動くことを知った私たちは、今度は竹垣の下の所を大きく左右に寄せて大きな穴を作って裏道への近道を作って遊んだ。
姉弟それぞれが、都合のいい所に穴を作るものだから、竹垣はどんどん面白い遊び場になって行った。
お陰で竹垣はすぐにボロボロになってしまって、父は修理に追われていた。
竹垣ののぞき穴はのどかな昔の懐かしい思い出だ。
すきまのある暮らしは風通しが良くて、家の灯りももれて家の中から笑い声が聴こえて来た。人と人の関係性が近く、面倒なことも多かったが、それは温かでいつも賑やかだった。
今でも時折見かける竹垣はチカコに懐かしい情景を運んで来る。