ひかりのつぶ

岡田織絵

算数の授業のあと、繭子が教材を職員室に戻すお手伝いを終えて、教室に戻ってきた時 だった。クラスで人気者の女の子の机の周りに、他の女子が集まっている。「まゆちゃ ん、見て見て。すごいよ」女子たちの肩越しに繭子が覗き込むと、友達の手のひらで何か がキラリと光った。それは小さなサンダルだった。右足用と左足用でちゃんと1足。自分 がそのまま小さくなれば、そのまま履けそうな、ビーズのサンダル。 心の中のつぶやきが聞こえたかのように、友達が「すごいよねー」と話しかけた。「お母 さんが作ってくれたんだ。こんどはこっちのスリッパを作ってもらうの」得意げな彼女の 机の上には、1冊のビーズ細工の手芸本が開かれている。自分にも作ってくれと大騒ぎす る友達の肩越しに、繭子はサンダルの他にビーズで作られた様々な小物達であふれるペー ジを必死で盗み見た。麦わら帽子。大きな網目のカゴ。赤や青や緑のサンダル。しましま 柄のスリッパ。みんなキラキラしていた。心の底から思った。すっごく、かわいい。

先生が教室に戻ってきて、子どもたちはあわてて席についた。国語の教科書を出す。一 番前の席の男子が指されて、文章を読み始める。繭子も教科書を開いていたが、頭の中は さっきのページのことしかなかった。繭子は必死で考える。私にも作ってって頼んでみ る?それは…無理だ。人気者の彼女の前に立つと、なんだかうまくしゃべれなくなるから だ。でも、あきらめるにはあまりにも惜しいと繭子は思った。あの本を貸してって言うの はどうだろう。難しいだろうか。でも、借りるだけなら。ひょっとしたら、いいよってい うかも。貸してくれるかも。大丈夫。顔が急に熱くなった。

繭子が勇気をふりしぼって話しかけたのは、さようならのあいさつが終わった直後だっ た。ちょっと早口で小さい声だったから、えっなに?と聞き返されて、2回言うことに なった。しかし、彼女はちょっと気の毒そうな、でもどことなくうれしそうな感じで、断 りの言葉をつづけた。ごめんねえ、今日、うちの家にみんなで集まって、お母さんに教え てもらうんだぁ。その後、今日はちえちゃんに貸して、明日はりんちゃんの番でね…。そ の次にとは繭子には言えなかった。俯く視界の中の、その子の上靴のかすれた名前だけが 心に残った。

その後、クラスの女子の間でビーズ細工づくりが流行した。女の子たちは可愛らしいそれ らを作り上げると、筆箱の中に入れて、交換したりしていた。教室にビーズを持ち込む子 も現れた。そんな女子の中の流行りごとは、男子にも伝わり、むりやりビーズをねだった り、床にこぼれた数粒を集めだすようになった。そして、ほどなく「勉強に関係ない」ビー ズを持ってくることは全て禁止となって、流行はあっさり終わったが、繭子はただただ、 その喧騒をまぶしくながめているだけだった。

だから、お母さんとゼッケン用の布を買いにいった手芸店の中をぶらぶらしていて、あの ビーズ細工の本を見つけた時、繭子は本当にびっくりしたのだ。繭子はその本を手にとる と、すぐに店内の母のところへ駆け寄り、ものすごい勢いで本を買ってくれるように頼ん

だ。お母さんは本をひっくり返して、少々難色を示したが、店員さんと話が弾んでいた余 韻もあったおかげで、無事にゼッケンと一緒にレジに並べられた。

その夜、繭子はずっとあの本を眺めていた。いちごも、えんぴつも、チョコがけのソフト クリームもあった。そして、あの人魚!だれかの筆箱に入っていた人魚のマスコットもそ のページにあった。緑のビーズの髪の毛は海の中でやわらかく広がり、うろこは青と緑に 輝いている。「人魚姫だ」繭子はいつまでも眺めていられると思った。

繭子はページの隅から隅まで読み尽くし、やがてその本とこれまで貯めていたお小遣いを お気に入りのトートバッグに入れて、あの手芸店へ行った。お店の人はにこやかに繭子を 店の奥のビーズがずらりとさげられているラックまで誘い、さらに必要な道具をページを 見比べながら小さなバスケットに揃えてくれた。サンダル用の丸ビーズの小は濃い青と薄 い青を。ワンポイントの赤。ワイヤーは31番の細め。そして、あの人魚の材料用に丸 ビーズの白と緑。パールの5mm玉。4mmのまが玉ビーズはワゴンとは別に小瓶に入れ られて売られていたので、ブルーハワイみたいな青色をティースプーンに一杯分すくった のだった。帰りのバスの窓越しに見える夕暮れの街はなにもかもがキラキラ光っているみ たいに見えた。

晩御飯を食べて、小言を言われるまえにお風呂にも入り、繭子は早々に家族にお休みの 挨拶をして、部屋にこもった。机の上の明かりをつけて、手芸店の袋からビーズを取り出 す。そして、いつかもらったお気に入りのお菓子の空き缶の蓋を開け、クラスの女の子た ちがそうしていたように全てのビーズをさらさらと流しこんだ。色とりどりのビーズは砂 浜のように缶の底に敷き詰められ小さく光っている。繭子の顔がほころんだ。 繭子は手芸本のあのサンダルのページをゆっくりと開いた。そうしてから、ワイヤーの 包装を取り去り、巻き留めた先端を指先でこじあけたとたん、ワイヤーは勢いよく外れ、 壊れたゼンマイのように不恰好に膨らんでとまった。繭子は慌ててワイヤーをきれいに巻 きもどそうとしたのだが、結局不恰好にひろがったままで戻せなかった。繭子は気を取り 直して、定規をとりだしワイヤーの束から必要な長さを測りだしてから切りとった。そし てワイヤーの先で宝石の砂浜から、青いビーズをそっと一粒ずつ拾い上げはじめた。

まずワイヤーにビーズの粒を決められた数だけ通す。これが1段目。そのまま2段目の 粒を拾ったら、反対側のワイヤーをビーズの中で交差するように通し、引きしぼる。単純 にこれを繰り返せばできるはずだと分かっている。だが、何度やっても段の間に隙間がで きる。ぴっちりと段をつめるためには、しっかりと力をかけて引きしぼる必要があった。 デザイン図の通りに粒を拾い上げ、ワイヤーを引く。何段かできて、ほっと手をゆるめた とたん、ワイヤーが跳ね上がり段がゆるみ、ビーズをはじき飛ばした。これを何度も繰り 返すうち、ワイヤーが慣れない指に見えない傷をつけていくことに繭子は気づいた。気が つくと、時計はもう12時を過ぎていた。指先や小指の際がピリピリ痛む。しみる指に目 をこらすが、傷は見えない。繭子は痛む指を唇に押し付けて、そのまま目をつむった。指

も痛いが、目も重い。まぶたの暗闇にスタンドのオレンジがかった光の残像がにじむ。開 いた目に机の上のビーズはきらきらと静かに光っているのが飛び込んでくる。大丈夫。も う一度ワイヤーを手にとると慎重にビーズを広い、ワイヤーを引きしぼる。

やがて半分を過ぎ、あと2段を残すまでとなった時だった。繭子の頭が一瞬がくんと前 におちた。その拍子に手が缶のふちにひっかかり、あっと言う間に宝石箱は傾いてビーズ 達はさらさらとあふれ出し、そのまま机のふちから下にこぼれていく。 繭子は一瞬かたまり、それから、あわててこぼれたビーズを追った。机の下のラグを飛 びこえた粒たちが部屋のそこかしこにちらばって光っている。とりあえず、ラグの上の ビーズだけを缶に戻して確認した時、半分程の量に減っていた。そしてあの勾玉ビーズは 一粒も見えなかった。 サンダルに勾玉ビーズは使わない。サンダルはあと少しでできる。大丈夫。そう思った のに、繭子の目は涙でいっぱいになった。手元に涙の粒がぽとぽと落ちる。こんな時なの に、涙ごしに見えるビーズは、より一層輝いてきれいだ。涙をぬぐって、繭子はビーズを すくった。ビーズをためたワイヤーを持ち、反対側からワイヤーを交差させようとした 時、ワイヤーがビーズの中で止まった。何度通そうと押し込んでも1ミリも動かない。ワ イヤーがねじれてビーズの中で塞ぐことは体験ずみだった。ワイヤーを抜く。もう声をあ げて泣き出したいような気持ちをこらえて、ビーズを見た時、気がついた。親指と人差し 指に挟まれていたのは大ビーズ。それなら尚のこと、ワイヤーが引っかかるはずはない。

繭子は片目をつぶってビーズの穴を覗き込んだ。針穴ほどの小さな穴を通して机が見え るはずなのに、見えない。いや、何かある。今度はスタンドの明かりに透かすように穴を 見た。やっぱり、何か別のものが見える気がする。繭子は自分の小さな指先にますます目 を近づける。小さかった穴が少しずつ大きくなり、光の輪になる。自分の瞳と重なる位に なったと思った時、ぴかりと光ったその中に繭子は吸い込まれた。 白いトンネルの先は一面青色に透き通っている。そして、その彼方からなにかが近づい てきた。緑色の髪の毛は海の中でやわらかく広がり、うろこは青と緑に輝いている。人魚 だった。ぼうぜんとする繭子に近づき、にこにこと笑いながらその手をひいた。二人は少 しずつ海の底へ降りていく。きらきら輝く水底にあったのは、あのビーズの缶だ。見えな い誰かの手が缶のふたをゆっくりと開いた。ビーズに埋もれていたのは、あの青いサンダ ルだった。人魚がそれをすくい上げ、そっと差し出す。 「素敵なものは何もかもここに埋まっています。あなたが見つけてくれるのをみんなずっ と待っているの」サンダルを受け取った繭子に人魚が笑いかける。「だから、大丈夫」。

開いた目にあのビーズ細工の人魚が飛び込んできた。繭子は体を起こし、口のはしのよ だれを慌ててぬぐう。よかった。本はきれいなままだ。窓の向こうは薄明るくなってい た。途中で寝ちゃった。でも、なんだかとてもいい夢を見た気がする。繭子はまだ夢見心 地で机の上をぼんやりと眺めて、気がついた。缶の中のビーズは減っていないように見え る。作りかけのビーズのサンダルはその中に埋もれていた。缶の中に指を差し込んで そっと搔きわけたビーズの山の底から、ティースプーン一杯分くらいのブルーハワイ色の 粒が見えた。なんてきれいなんだろう。知らず知らずのうちに、繭子は微笑んでいた。そ れから作りかけのサンダルを手にとった。朝までには、きっと片方できるはず。もう片方 は、今回よりうんと楽に作れるはずだ。だから、大丈夫。「待っててね」繭子は小さくつ ぶやいて、青いビーズをそっとすくった。