ワインレッドのアコーディオン

杣本純

プリヴァじいさんは ダニエルの家の窓から見える カエデ通りを挟んだお向かいの家に住んでいた。
ダニエルがあかちゃんだった頃から 毎日ダニエルをバギーに乗せて ワンブロック先の公園まで散歩に連れて行ってくれた。
その道すがら いつも サリバンさんちの前にあるマンホールの段差をわざと通って プリヴァじいさんは「ガタンゴトンガタンゴトン」という。
するとダニエルも「ガタンゴトン!」と声をあげるのだった。
空き家になった大きな古いお屋敷の塀に 木の節の抜けた穴がいくつかあって そこではプリヴァじいさんがダニエルをバギーから抱き上げて 二人で覗いた。
するとプリヴァじいさんは決まって
「ハロウィンの夜はここで死人が集まってパーティをやるのさ」とささやくのだった。
ダニエルは「キャー」と怖がった。
とちゅうでかわいい犬に出会うと とまってかがんで 話しかける。
吠え立てるような犬なら 歌を歌ってダニエルが怖がらないでいいようにした。
ダニエルが 歩き始めるようになると ゆっくり二人は手を繋いで公園まで歩いた。
プリヴァじいさんはワイレッドのアコーディオンを肩からさげていた。
公園のプラタナスの木のしたのベンチに腰掛けて プリヴァじいさんが曲を奏でた。
そしてゆっくりおしえてくれた。
「ここを指で押していて」ダニエルがボタン式の鍵盤を押さえると、プリヴァじいさんは、ゆっくりと蛇腹を開いて閉じて、音を出して見せるのだった。
ダニエルが気が済むまで好きな音を鳴らした。

やがてプリヴァじいさんも年をとってアコーディオンが重くなった。
だから散歩の帰りに プリヴァじいさんの家のポーチで アコーディオンを奏でるようになった。
近所の人は ポーチで二人が並んでいるのを見て いつも微笑んだ。
池が凍るような冬の一番寒い日にも ふたりはゆっくり散歩したあと ポーチでプリヴァじいさんのアコーディオンを聞いた。
ある日 プリヴァじいさんは ダニエルにアコーディオンを持たせてくれた。
ダニエルの肩にはずしりと重かった。座って背を丸めると やっと抱えられた。
プリヴァじいさんは ボタン式の鍵盤に手を添えて ダニエルに蛇腹をゆっくりと開いて閉じるようにいった。ダニエルは言われたとおりにやった。はじめて音が出た。
自分で鍵盤を押してみた。なかなか両手ではうまくいかなかった。
プリヴァじいさんは「なぁにゆっくりやればいい」といって笑った。
そして ふたりでレモネードを飲んだ。

まもなくダニエルは小学校に上がった。
そしてプリヴァじいさんはもっと年を取った。

ポーチの階段の上り下りには必ず手すりを持つようになり サリバンさんちの道にあるマンホールは避けて歩くようになった。
時にはダニエルが手をかすようになった。
空き家の大きな古いお屋敷の塀も ダニエルはもう届くようになった。

ある日 プリヴァじいさんは寝室から出てこなかった。
「どうもめまいがするのさ」
プリヴァじいさんは ダニエルに手を引かれて ポーチのロッキングチェアにゆっくり腰掛けた。
その日から ポーチでアコーディオンを肩に下げるのはダニエルに代わった。
プリヴァが鍵盤を押し ダニエルが蛇腹を開いたり閉じたりした。
そのうちプリヴァじいさんのハミングをきいて ダニエルがその音を奏でるようになった。
のんびりポーチでアコーディオンを奏でるだけの日もあった。
プリヴァはたくさんの曲を知っていた。
あるときダニエルがたずねた。
「どうやってそんなにたくさんの曲をおぼえたの?」
「なぁにきいているうちにダニエルもすぐおぼえるさ」

ダニエルも少しずつ両手でやれるようになっていった。
プリヴァじいさんは車椅子に乗るようになり ダニエルとまた散歩にいくようになった。
サリバンさんちのマンホールの段差をわざわざ通って ダニエルが「ガタンゴトン」というと プリヴァじいさんが「あははは」と笑った。
空き家になった大きな古いお屋敷の塀ののぞき穴ではダニエルがいう
「ハロウィンの夜はここで死人が集まってパーティをやるのさ」ダニエルはたくさんの曲を奏でられるようになった。
プリヴァが尋ねた。
「どうやってそんなにたくさん覚えたんだい?」
「きいているうちにおぼえたんだよ」
プリヴァは嬉しそうに笑った。

ある秋の日 ダニエルが プリヴァじいさんと散歩に行こうと寝室に入ると 口元に笑みを浮かべたまんまプリヴァじいさんの頬は 早い朝の空気と同じに冷たくなっていた。
つったったまま しばらく見つめ ダニエルは そばにあったワインレッドのアコーディオンを手に取った。
ミュゼットやシャンソン、プリヴァの大好きだった曲をいくつも弾いた。

いくにちかたってから ひとりのおばあさんが訪ねてきて 兄の遺言なのだといって ダニエルにワイレッドのアコーディオンが届けられた。

それを肩から下げ ダニエルは日が落ちる前に 散歩にでかけた。
プリヴァと歩いた道 でこぼこのマンホールの道 古いお屋敷の塀ののぞき穴。
「ハロウィンの夜はここで死人が集まってパーティをやるのさ」薄暗がりに見える屋敷の窓ごしに ぼんやりとやまだかりの人影。
じっと息を潜めて耳を澄ますと ギターやハーモニカの音に混じって かすかにプリヴァじいさんのアコーディオンの音色がきこえた 気がした。